911米国同時多発テロから11年

2012/09/06

特別レポート

世界の金融の中心NYマンハッタン、その金融街のシンボル的な位置付けにあったワールド・トレード・センター。
2001年9月11日、のテロの最大の標的になったビルであるが、当時、あの場所で実際に働いていた当事者がSBIFXTの中にいる。
今回は、11年目を迎えるにあたって、事件の記憶を風化させないためにも、ジャンボジェット機が衝突した直後の経験をレポート形式でまとめたので、皆さんと本経験を共有していきたい。
なお、本レポート内の画像は避難脱出時に使い捨てカメラで撮影したものである。

2001年9月11日、あの日のNYマンハッタンは朝から雲ひとつない青空とギラギラした太陽、それでいて日陰に入ると秋の予感を感じさせるカラリと乾いた空気とほのかな冷気、1年の中でもパーフェクトな天候の初秋の1日であった。

私は、7時30分にワン・ワールド・トレード・センター(北側の1機目が突入したビル)の上層階のオフィスへ出勤し、いつもの通り、1日の業務を開始するためのミーティング、日本デスクとの引継ぎ作業を進めていた。

日本デスクのスタッフとは「狂牛病」の話をした記憶がある。


一通り、オペレーション稼動前の作業が終わり、本格的な業務開始を前に最終的な日本デスクとの打ち合わせをしていた8時45分ごろ、突然、マーケットチェックのため流していた24時間マーケット情報チャンネルのテレビ映像が大きく乱れ、数秒後には映像そのものが切れてしまった。

それと同時にオフィス内のPCのモニターも全てシャットダウン。
突然の事態に状況が把握できずに皆で唖然としたその瞬間、強烈な爆発音とともに、110階建てのビル全体が大きく振動。
このとき、世界中を震撼させた911テロの最初の攻撃を受けたことになるのだが、ビル内にいる我々はジャンボジェット機がビルに突っ込んだなどという突拍子もない事態は想像もつかず、上の階でガス爆発か何かの事故が発生したのではないかなどと暢気に話しながら、窓の外に雪のように舞っている書類の束に目を奪われていた。

その後、日本デスクに緊急連絡した別のスタッフが「焦げくさい!煙が!」と叫び出した。
このときの会話がディーラーフォンに録音されており、当時メディアにおいても紹介された。
911テロ、ジャンボジェット機のビルへの衝突といった事態に遭遇した際に、ビル内にいた我々が経験したことは、
① テレビの映像が乱れ、消える
② PCのモニターが消える
③ 爆発音
④ ビルの振動
⑤ 窓の外の書類の舞
テレビ、PCの乱れはジャンボジェット機の異常接近を受けての電磁波の乱れが引き起こしたもので、爆発、振動はジャンボの衝突。

書類の舞は、オンライン化が進んでいるとはいっても、まだまだ、現在ほどではなく、オフィス内に蓄えられた書類が爆風で巻き散らかされた結果である。(写真1)

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当然、ガス爆発程度しか想定していないだけに、我々の避難行動自体は外の惨劇とは大違いの非常にのんびりしたものであった。

たまたま、電話回線自体は生きており、ビルから火を噴いているTV映像を視た知人からの警告を受けて、我々は避難活動を開始。

しかし、ジャンボ衝突の衝撃と火災により、当然エレベーターは稼動しておらず、通路は煙が充満しており非常階段しか脱出経路はない状況であった。

その非常階段はというと幅は1.5メートルぐらい。

ワールド・トレード・センター全体で5万人もの人々が働いていただけあって、ビルからの脱出のための限られた経路は避難する人々でごった返しており、息が詰まる状態であった。

その上、下からはフル装備の防災服で身を包んだ消防隊の人々が汗だくで昇ってくるし、上からは、大やけどを負ったけが人を担架で優先的に降ろしたりするため、避難の流れはたびたび止められた。

そんな中、避難者同士の噂話でどうやら飛行機が衝突したらしいとの情報が聞こえてきた。

この話を聞いた我々は、飛行機といってもセスナ程度の小型飛行機が操縦を誤ってビルに追突したのではないか、程度の想像しかしていなかった。

しかし、避難中に展開される一つ一つの状況に、ただ事ではない事態に遭遇していることをじわじわと認識し始める。

下層階へと降りてくると、避難経路は警備員の誘導で血痕の後が散らばるどこかの会社のオフィスの中を横切り、上からの落下物から安全が確保できる脱出口へと向かうため、水浸しの地下街の中を右に左に進まざるを得ない状況であった。

そこはいつもの見慣れた職場への通勤路ではなく、非現実的な荒れ果てた廃墟と化しており、比較的冷静であった避難民達の中にはパニックに陥り泣き叫ぶ声が響き渡り始める。

結局、外に避難するまで1時間近くかかってしまった。(写真2)

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しかし、本当に言葉を失ったのは、ようやくビルから脱出し、外に出た際に、そこに広がっていた光景を目にしたときである。
我々が目にしたのは、TVや映画でしか見たことがない戦場のような現場であった。
ちょっと前まで、気持ちのいい天気を享受すべく、平和で幸せな雰囲気で満たされていた広場は瓦礫であふれ、人々は泣き叫び、鼻につく科学物質の焦げる臭い、定期的に上からの落下物が地上に激突する音が響き渡る異常な現場。
また、ふと目を上げると、我々が先ほどまで働いていた1WTCだけではなく、2WTCからも煙が吹き出ているではないか。
その時、私は米国がどこかの国と戦争をはじめ、WTCはミサイル攻撃か何かを受けたのであろうと、異常な事態を漠然と考えながら瓦礫の間を歩いていた。(写真3)

(写真3:言葉を失った、ビルから脱出した際に目にした光景)

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それからは、我々は前へ進める場所を探しながら、避難する人の群れに流されるように現場から離れていく。
ちょうど15分ぐらい歩いたところにある、シティー・ホールにたどり着いたところで、突然人々の悲鳴が3オクターブほど急騰した。
何事かと振り返ってみると、先ほどまで我々が働いていた職場であるWTCが煙に包まれていた。
周りの人々に聞いてみると、ビル自体が崩壊したとのこと。
崩壊直後ということもあり、ビルの存在する方向は煙に包まれており、ビルの崩壊が確認できる状況ではなかったため、にわかには信じられなかった。

しかし、呆然と見ていると、マンハッタンのどこにいてもその存在を確認することが出来たツインタワーの一つが消滅していることが確認できた。
双子の片割れを失った、どこか頼りなさげであった1WTCが後を追うように崩れていったのはその30分後であった。
その後、我々は住居のある北へとマンハッタンの目抜き通りを黙々と歩いていく。
マンハッタンの交通機関は全てマヒ状態。
人々は集団になって民族大移動さながらにマンハッタンの道を南から北へと進んでいく。
途中、泣き叫びながらWTCの方向へ走っていく人々や、呆然自失状態で道に座り込んで我を失っている人々とすれ違う。
アベニュー沿いのカフェは上空からの現場の光景を中継しており、多くの人々が声を失って画面に見入っている。
このときの一連の光景は私の脳裏に焼きついており、10年以上たった現在でも細部にわたって再現できる。
また、このときの異常な光景と、澄み切ったブルーの空、心地いい初秋の空気のコントラストも私の中で強烈に印象に残っており、同じような気持ちのいい天気の中、ふとこのときのイメージが再現されることがある。

あれから11年。
この11年間で世界情勢は様変わりした。

20世紀の後半は米ソの二極による冷戦構造を軸に世界は回ってきた。

21世紀直前にその冷戦構造が終了、米国一極を軸にあらゆる事象が展開していくのであろうと予想された。

そういった見通しを一変させたのが、911米国同時多発テロである。

唯一の超大国であるだけに、テロによる攻撃対象として絶好のターゲットであり、攻撃されたからには、経済的に割に合わない戦いであっても、挑戦を受けて立たねばならなかった米国。
いまだに世界一の経済規模を誇り、軍事力でも他を寄せ付けない地位にいるものの、中国をはじめとしたBRICs、統合による復権を目指す欧州の台頭で、現在の世界構造は米国による一極体制とはもはや言えないであろう。

サブプライム・ローン問題、リーマンショックと最近のグローバル経済においては、米国発の混乱がマーケットの波乱要因になっている。

唯一の勝者になると思われた米国の流れを大きく変えた911米国同時多発テロ、9月11日は、再びその意味について考察する一つのきっかけにしたい。

(最後に)
「911米国同時多発テロ」犠牲になられた方々もたくさんおり、忌まわしい記憶として、思い出したくもない方も大勢いらっしゃることでしょう。
しかし、21世紀を象徴する出来事として、本体験を共有することに何らかの意味を見出してくれる方も同様にいらっしゃることと考えます。

SBIFXTとしても、本情報を公開するかどうかで議論となりました。

「情報」というものの重要性を重視しているマーケットを業としている我々としては、賛否両論あるものの、今回のレポートを公開することを決定いたしましたので、何卒ご了承ください。


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(附録)

日本から経験した911米国同時多発テロ

後に歴史的な事件として世界を震撼させた911米同時多発テロ、我々の同僚が働くオフィスにジャンボジェットが突入したその瞬間、ドル円のディールを担当していた私は、突然のドル円の急落にNYオフィスとの電話ミーティングを一時中断させることとなった。やや大きめのフローを吸収するために、マーケットが動かされただけで、すぐに戻るのではないかと油断していたのだが、急落の後通常であれば見られる戻しがなかなかこないマーケットに戸惑っていると、電話回線を開きっぱなしであったNYオフィスのほうから異常を伝える声が聞こえてきた。

「オフィスの上の階で爆発音が聞こえた」
「なんか、物凄く揺れたよ、地震か?」
「PCが全部落ちてマーケットがフォローできない」
「上から紙吹雪が落ちてくる」
「なんか焦げ臭いな」

後に、同僚が米同時多発テロの第一攻撃を受けたということを知ることになるのだが、このときは比較的落ち着いたトーンの会話に事態の重要性をまったく認識できないまま、ドル円の下落の要因はそれかな、と漠然と考えていたことを思い出す。

マーケットの下落が突然激しくなったその時、驚きのニュースが飛び込んでくる。
「ワールドトレードセンターに飛行機が衝突。」

すでに避難を開始していたNYオフィスの同僚の携帯に電話をかけるもまったく繋がらない。何度も何度もリダイヤルを繰り返すのだが、コンタクトが取れない。東京オフィスではややパニック状態となるも、マーケットも同様のパニック状態に陥り、顧客からのオーダーも大量に入ってくる。
心ここにあらず状態で、機械的に入るフローを処理していく中、衝撃的な映像が飛び込んできた。ジャンボジェット飛行機がツインタワーのもう一方のビルへ飛び込んでいくあの映像である。避難中のはずの同僚とはまだ連絡が取れず、マーケットの乱高下が激しさを増し、様々な感情が交錯する。このようなときだからこそ、個人投資家への市場機能を提供するという責任の重さを強く考える。インターバンクが提示してくるレートもこの異常な事態を反映して取引停止(グレーアウト)や30pipsを越えるスプレッド提示してくる。とにかくBIDがなくなった。

会社としては、本日のオペレーションにおいて、収益は考えなくていい、とにかく個人投資家へ為替市場の機能を提供し続けることを優先事項として考えて、対応せよ、との指示が下される。

そして、とうとうあの瞬間がやってくる、煙を吐き続けていたビルが突然倒壊。マーケットも狂ったように乱高下、インターバンクも混乱しているようで、出てくるレートはとりあえず提示する、程度のマーケット機能を果たしているとは思えないプライス。とにかく、「売り」だけはしっかりこなしていくように指示を受ける。

必死になって、ぐちゃぐちゃになりながら、皆でオペレーションを続けていく中、NYのスタッフとやっと連絡が取れた際の感情の爆発は今まで経験したことがない。そして、その時の気持ちと、あの経験から決定的に我々の中に根付いた、市場機能の提供という我々が担う仕事に対する責任感はいつまでも持ち続ける自信がある。

終わってみればNY時間の取引量は当時の過去最高を記録。ドル円は1日で122円から118円台まで約4円下落したが、顧客サイドへのマーケット機能は一度の中断もせず提供し続けることができた。現在、マーケットは比較的落ち着いているが、ユーロ危機や米QE3など国際情勢が安定している訳では決してない。11年前の経験と記憶を基に、我々の使命はいつ何時、緊急事態が発生しても顧客に透明性のある公正なマーケットを提供し続けることであると再確認している。

(*本レポートの作成者は現在SBILMのディーリング責任者として、市場機能の提供という任務を担当している)


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